
柞田と常磐は隣村。戦後市町村合併で柞田町となったが、常磐は植田町・出作町などに分かれ、町名にはならなかった。校名として常磐はそのままある。
両校の校訓は「正しく、明るく、たくましく」がなぜか同じである。柞田の校訓碑は「正しく 明るく、たくましく」と楷書で刻まれている。一方、常磐は書家西田氏の筆跡で行書風のちらし書き。校歌は柞田小学校では「雲辺寺山・柞田川・燧灘」常磐小学校「志保の峰・菅公の伝え・財田川」これがその地区の代表としている。一番・二番・三番の初句に置いている。柞田には山がなく、北岡の「天王丘の小学校」である。常磐は「歴史・文教」の地区である。柞田校歌の「ときわの松」がやや気になるところ。
〔 特筆〕戦時中、軍事飛行場の立退き移転の犠牲を共にした。常磐の出作南地区100軒と柞田出在家(上出・中出・下出)250軒合わせて350軒はその犠牲になり、苦しみを共にした。地名の【出】の共通点はこの地は開拓・農耕地として隣り合った運命共同体とも見られる。