「悲」の回復

 
 文豪漱石の最後に到達した人生観は「則天去私」であった。平成の国民作家、人生の求道者・五木寛之は、「人はみな大河の一滴」であるという。この名文句が彼の人生観を象徴している。これが本書のタイトルになり、人口に膾炙されるところとなっている。
 だからどう生きればいいか、本書に述べられていることでは「何も期待しないで生きる」「他人と違うただ一人の自分を大事にする」「寛容(トレランス)のすすめ」などで、ほぼ結論は出て来そうである。
 曰く「悲」…慈悲の悲という一語が最も大切としている。〈励まし〉よりは〈慰め〉を、それよりも「悲(サンスクリット語でカルナー)」の心である。何も言わずに無言で涙をポロポロ流し、「ああー」と呻き声を挙げて、嘆くこと。今や日本にかつてあったこのような情緒が枯渇してしまいつつあることは、嘆かわしいことである。それを本書巻末で特に強調している。
 しなやかな言葉選び、柔軟な思索的作家としていつの頃から多くの国民に敬慕・思慕されいるのであろうか。抵抗なくこちらの心に沁みてくるもの言いは、この人の自ずからなる人格がしからしめるのであろう。更に、穿った見方をさせてもらうと、あの親鸞の化身のような気がしてならない。剃髪・得度してお説教する人よりも、親しく仏教・仏心の精髄を語ってくれている。語りの絶妙。正鵠を得たせりふに魅入られている。