芭蕉 「早苗塚」『二つ笠』にまつわる俳人たち

 宗鑑と芭蕉のつながりは明確ではない。それを資料は少ない。これまでに地方に埋もれたささやかな俳諧事象がわずかに参考になるかもしれない。讃岐では、宗鑑終焉の一夜庵(観音寺市)関連と芭蕉の直筆短冊の句碑・早苗塚とのつながりが唯一注目すべき接点である。これまで幾度となく取り上げ紹介してきたので、今更新説を述べる域には達していない。ここでは、江戸末期の西山家三兄弟を中心にまとめておく。宗鑑直筆・宗鑑崇拝者の書いた短冊集『筆海帖』及び「早苗塚」に関して【二つ笠】を書き残している

 早苗とる手もとやむかし志のぶ摺 はせを

(裏面)先人帯河文魚也者埋翁真蹟之短冊立此碑写歴年既久而将傾顛乃抱社友再修之

肯惟天保十年龍次 己亥年上完 施主 杜麦 木芝 中装 苗石 百泉 鶯居

(左面) 発起 半日庵五蕉

 

  〔早苗塚創建〕

◎【竹阿】葛飾派二世馬光門、一茶の師、別号二六庵。寛政2年(1790)3月13日没。

〇【帯河】小西氏、山幸舎、観音寺人、墓は本山摺木庵にある。竹阿門人、明和安永頃、早苗塚に芭蕉の句碑を建てる。安永4年宗鑑200年忌、西山青玉と共に俳諧『二つ笠』(竹阿序)を著す。自著『華洛日記』天明2年(1782)没、55歳

【青玉】西山氏。長男、名長矩、称勘九郎、彦治郎、号蒼蒼林、竹阿門、観音寺人、墓は高屋町宝珠寺にある。著『二つ笠』天明4年(1784)2月17日没、60歳 辞世「藤花のあとを隠してわか葉哉」

【文魚】西山氏。二男、名為四郎、為親、号六々舎、明和4年(1767)4年7月22日没、

【陶々】西山氏。三男、名茂兵衛、知寄、安永8年(1779)1月26日没、48歳

 

  数十年後〔早苗塚再建〕

◎【五蕉】齋田氏。半日庵と号す、俳号五蕉、丸亀人、成田蒼乣の門。明治6年6月3日没、76歳。辞世「散る花や舎利も生るる砂の上」

【魚春】西山氏。名直温、称信五左衛門、壺中井、竹林舎、竹翁、桃旭と号す、観音寺人、大庄屋を四十六年間勤め謡曲及蹴鞠を能す、明治4年7月廿日没、76歳 応還院信源釈了敬大居士、墓興昌寺 捨植にしてもまた見る柳哉 花に行く友誘ひけり星明り 鐘の緒も占めてあるなり花七日

【杜麦】藤田氏、名良恭、称嘉平衛、嘉内、号以鳴庵、杉月亭、五蕉門、酒造業、観音寺人、明治9年7月6日没、68歳 興正寺葬。辞世「浮草やどちらの風もかただより」

【木丈】吉良氏。称嘉八、号凌霜屋、観音寺人、酒造業、明治18年10月2日没、72歳、光明寺葬。

【櫻居】入江氏、名俊継、称源左衛門、物集高世に学んで和歌を能くす、観音寺人、明治12年7月22日没、総寺院葬。