芭蕉「早苗塚」建立者

奥の細道」道中の句、その句碑を建てて芭蕉を遠く偲び、崇める讃岐俳諧愛好者
 
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※先人 帯河=地元観音寺の小西帯河のこと。この人が芭蕉直筆の「早苗取る手もとやむかしのしのぶ摺」を所持していて句碑に建てた。墓所豊中町にある。 ※文魚=西山文魚も当地出身も協力した人。墓所は高屋町宝珠寺にある。230年も前のことである。一茶の師匠二六庵竹阿の指導によるもの。その破損したものを再建したのが半日庵五蕉。天保時代170年ほど前のこと。古色蒼然として人は寄り付かない琴弾八幡神社の入り口辺。しかれども、俳諧史においては見捨てることの出来ない俳跡である。

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