山崎宗鑑=室町末期の俳諧連歌師(生没年不詳)香川県観音寺市興昌寺一夜庵 終焉の地
宗鑑没後、一夜庵は荒れるにまかせていたらしいが、江戸時代になり俳人を中心として再興されるに至った。延宝9年(1681)に無妄庵宗実坊が、岡西惟中を仲介として、西山宗因の勧進帳を請い受け、一夜庵造立を企画している。「宗鑑法師勧進帳」は宗因の直筆で、その主旨に賛同・協力し、同門の献句を載せている。3年後の貞享元年には北村季吟の自筆である「一夜庵再興賛」がある。また、興昌寺には寄進された短冊集「一夜庵筆海帖」2冊に約600句が保存されている。
一夜庵を詠んだ代表的な句には、次のような直筆短冊がある。
花にあかでたとへばいつまででも一夜庵 西山宗因(1605~1682)
ままよ世は夏も一夜の仮の庵 北村李吟(1624~1705)
いなれぬや雪を下客の一夜庵 上島鬼貫(1661~1738)
きりぎりすさむしろゆるせ一夜庵 二六庵竹阿(1710~1790)
松涼し鶴の心にも一夜庵 各務支考(1665~ 1731)
木像や蕣数奇の一夜庵 大淀三千風(1639~1707)
此の庵に短過ぎたる我日かな 巌谷小波(1870~1933)
宗鑑の墓に花なき涼しさよ 高浜虚子(1874 ~1959)
松の奥には障子の白きに松 荻原井泉水(1884~1976)
浜から戻りても松の影ふむ砂の白きに 河東碧梧桐(1873~1937)