早苗塚→松尾芭蕉の句碑と明示

本日、「早苗塚」の横看板の柱に「松尾芭蕉の句碑」縦書きを柱に添える

「早苗塚」の文字看板を明瞭に塗り替えるに際して助手が突然「神」の出現

カメラに撮りたいが何者かに盗られて目下手持無沙汰ひたすら「忍」の一字

何十年かの心通じ合う師弟関係は容易に崩壊することのない「純」の一字

この老体をいたわる心の深さは何ものにも代えがたい個人に備わった「粋」

  ↓〔十余年前の再掲〕
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奥の細道」の途次、芭蕉の詠んだ発句を句碑にしたもの。
 「早苗塚」…芭蕉の「翁塚」に総括してくれてもいいですが、当方では特別に「早苗塚」と称しております。
 所在地は、香川県観音寺市琴弾八幡神社境内、一の鳥居横です。
毎回紹介しておりますように「早苗とる手もとやむかししのぶ摺 はせを」の真跡を刻んだ句碑です。
 この「塚」に関しては、調査・考証中で、確証を提示する段階ではありません。
 安永4年(1775年)の古記録には次のように書かれています。
「施無畏の山の叢林に土を荷ひ石をはこびて一基の塚なりぬ」
                     (小西帯河「早苗塚」序文)
 この石は半ば土に埋もれた福島の「しのぶもじずり石」を意味していると思われます。 この「一基の塚」が、はたして句碑の建つ一郭を指すのか、裏山の小丘を指すのか。前者であると断定できません。句碑の借景のようにある花崗土も当時相当の苦労をして、琴弾の山土を盛ったかもしれません。いずれにしても、この周辺は、二六庵竹阿(一茶の師匠)が治定した所で、俳聖芭蕉「翁塚」の場所としてはこれ以上ない絶好の場所です。