早苗塚序文  小西帯河著

【早苗塚序】

 琴弾山の麓神恵院は風景に富て霞たつ高根の曙より梅がわきの梅に闇はあやなく桃の中より咲出す、初ざくらに花間笑語の聲たへず、十王堂の藤のゆふ暮おぼつかなく、斜日散後聖廟の雨夜には沓音のいはれも傳へ、御影の池には注連縄を曳き、五月雨の比は三賀橋にはほたるの花を咲せ、琵琶が首の水鶏に月下門の俤あり、琴嶺の嵐に唐糸の神詠あれば山口に阿字の麗泉あり、燧か灘の波只ここもとに寄せ来る心地して坂本の里の碪の聲には就中断腸降みふらずみ時雨の雲に伊吹の島はいと近ふ。篠谷のささ鳴に冬の朝日の哀れなるより、遍路の詠歌は世法の定法にして濱の松風のさびしみをそへ象か

鼻のおかしき名もともに俳諧の國なるべし。かかる幽閑の地に祖翁を祀らざらんやと、さいつ年文魚とうなづきあいしが不幸にして止ぬ。今茲二六師留杖ありて、一棒を與へらるるに漸魂むすはりて思ひ立ちぬ、魚がはらから陶々ぬし故、兄の志を嗣んと乞ふにまかせ、施無畏の山の叢林に土を荷ひ、石をはこびて一基の塚なりぬ幸なるかな。

 早苗つかむ手もとやむかし忍ぶ摺といふ。祖翁の真蹟を予家に傳へ、これを神霊と崇めて早苗塚と呼ぶ。今より年々皐月十二日を早苗會と号して其徳化を仰ぎ、蕉風のながれ清く、怠転なからせまじと連中香花を捧げ頓首百拝して法莚を興行する物ならし。

  安永四未年     山幸舎 帯河