家永三郎と論陣を張った村尾次郎



1943年(昭和18年)3月に応召される。
歩兵より船舶兵科に転じ、陸軍船舶幹部候補生隊本部教官となる。陸軍船舶幹部候補生隊「あかつき」部隊

、四国豊浜一宮に留魂像建立、名文の由来書刻銘あり。

高校日本史教科書の記載内容につき、家永三郎と論争(国側証人)

戦後は古代史専攻の研究者となり、1961年(昭和36年)に「律令財政史の研究」で東京大学より文学博士の学位を受けた[1]。1951年(昭和26年)から富士短期大学に勤務。1956年(昭和31年)、文部省の教科書検定調査の任務に就き(文部省主任教科書調査官)、1965年(昭和40年)に家永三郎の「教科書訴訟」が起こると、被告の国側証人として東京地裁の法廷に立つこと三回に及んだ。1975年(昭和50年)、定年退官。日本の伝統文化を重視した高校教科書「最新日本史」を執筆

私は「暁部隊」の《語り部》となることを誓う。