~ある日ある時~
皆さんこんには。わたしは本校の卒業生で米寿になります。(米と書いた大型文字を見せる)何才かわかる人は?)そう、八十八ですね。この学校に入学したのは82年前でした。そのころは戦争中で敵機アメリカのグラマン機が飛んできて、空襲にあいました。上出中出下出は立退き移転で家はよそに移って飛行場になっていました。
こんな「アカトンボ」(模型を見せる)と呼ばれた日本の✈が飛行の練習をしていたのでそれを目がけてやってきたのです。その前に滑走路を作るのが大変でした。柞田の小学校生徒もみんなその手伝いに行ったことがあります。なんの役にも立たなかったのですが、『お国のために』と日本全国民が必死に戦っていたのです。特に「米国アメリカ」を敵国として苦しく戦っていました。
食べるお米は兵隊さんのために供出して、この学校の運動場の向こう側半分は芋畑になっていたこともあります。食べる物に不足し、いもや麦ごはんでしんぼうする家が多かったのです。
二度とあんなく苦しくつらい目に会いたくはありません。(二度と戦争があってはなりません)
皆さんのおじいさんおばあさんの小さかったころの話です。
よその国と仲よくせず、みんな敵だ思い込んで戦争したのがまちがいの元です。
皆さんもみんなだれとも仲良くしてくださいね。知らない人をかってに敵だと思い込まないで誰とも仲良く、親しく、「正しく明るくたくましく」進んで何事にも前向きで励んでください。