当時は香川県三豊郡豊浜町姫浜 にあった。隣接する一の宮海岸は、一の宮公園として地域の人々に親しまれている景勝地である。
太平洋戦争も末期に近づいて、戦雲急を告げる時、急きょ富士紡績株式会社豊浜工場が徴用されることになった。三島工場・川之江工場に次ぐ摂取である。この工場の前身は明正紡績豊浜工場で、昭和一四年に海岸五万坪を埋め立てた。同一六年富士紡績と合併していた。
昭和一九年四月一日豊浜工場、陸軍船舶隊訓練基地として徴用」(『富士紡績百年史』)とされている。
戦時中暁部隊の兵舎となったが、戦後復帰して六〇有余、「富士紡」として地域の人々に親しまれたが、現在は取り壊され、太陽光発電所として変貌している。