私小説ではない「自己表出」

★大岡将平『野火』⋯「私」とはいえ、誰しも捉われる自己なるものを客体として表現している。虚構としての「私」は作者自身のようにも思われるが、感情移入は抑制されている。 蛇足(大谷翔平「50ー50」→「60ー60」)

谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』⋯物語性を縮小した日記の中「予」に、凡そ自己にまつわる欲求、自己肯定、自己欺瞞、自己変革等が見られない。一人の素朴な老人の「実在感」の強い意識の自然が見受けられる。

小林秀雄『一ッの脳髄』⋯いわゆる私小説ではない。作品の中の「私」は小説めかして作者自身であると言える。自己が自己を客体してとらえ、それを主格化した小説。いわば、純粋な自意識小説。作者は「私」の全くの「自然」を表現している。