道真と宗鑑の接点【沓音天神】の奇異

    「沓音天神」の由来
 菅原道真をお祭りする「天神さん」は全国にわたり、12000社余りある。そのほとんどは学問の神様として祀られている。元来、道真にまつわる怨霊封じに始まり、天の神・天神となり、農耕神としての信仰にもなってきた。
 
 我が郷土観音寺の八幡神社神恵院でも天神さんがある。
菅原道真の学友と親交のあった日儀法印との因縁があったもので、単なる天神さんではなく、「宮坂天神」と呼び尊崇されている。これとは別に、【沓音天神】なるものがあって、全国ただ一ヶ所の文学的伝奇をもっている。
 俳祖【山崎宗鑑】に書の手ほどきをしたというのである。八幡さんのある琴弾山に続く興昌寺山の麓に宗鑑の寓居「一夜庵」があって、ある夜童子が現れ、「今晩一晩、汝の手を借りる」と言って、翌日返しに来て、それ以来天神さんのお蔭で書が上手になったという。これは寺伝『弘化録』に筆録されている。
 
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    観音寺・神恵院の境内に祀られている「沓音天神」
  (天神さんの使いの童子が宗鑑の手を借り上手にして返した伝奇あり)
 
 
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        琴弾八幡神社参道途中の「宮坂天神」
       道真と日儀の歴史的親交が書かれている。
 
 
   《伝説碑》神恵院・観音寺参道左脇の「沓音天神」
俳諧師山崎宗鑑(一夜庵主)此の社神を尊崇す。或る夜示現して「我は菅神なり。汝が手を借る」と。
翌日筆をとるに意の如くならず。其の夜又「汝の手を返す」と。神を慕ひて門前の小僧習わぬ経を読む出づるに、只沓音のみあって、形なく、当社に至って絶えたり。翌朝試みるに運筆自在なり。よって奇となし沓音の号を奉る。
(昭和48年5月再建。第78世観音寺現住職 羽原真道)
 目立たない所にあるので、お遍路さんは誰一人見ない。ただ地元の人でゆっくり出来る人はこの「沓音天神」伝説を知ってほしい。観音寺と一夜庵(興昌寺境内)が結びつく伝承として大切にしたいものである。
 観音寺に時々訪れていた菅原道真(平安前期)の天神さん。それが単なる天神さんではなく、神霊として、700年後山崎宗鑑(室町後期)に書法を授けるという伝説がおもしろい。宗鑑の達筆は、道真の達筆によるとするこの伝承。数少ない貴重な宗鑑伝説である。
 春の海沓音天神奏でたり  雅舟
「春の海」は宮城道雄のそれ。沓音天神は、いわゆる道真天神信仰のひとつであるが、宗鑑は天神さまの手を借りて書道が上達、不可思議な沓音が消えた所に建てた天神さん。菅公さんと宗鑑をつなぐ伝説説話として地元で大切にしている。