俳祖山崎宗鑑伝・終焉の一夜庵

【生誕】寛正6年(1465)同年足利義尚生まれる。※応仁の乱(1467~1477)

【出身】近江国志那郷(現在、滋賀県草津市志那町)

【父祖】近江源氏佐々木秀義五男五郎左衛門義清の後裔

【幼名】志那弥三郎憲重(範永)

【在俗】足利義尚の侍童・右筆

【出家】25歳、延徳元年(1489)3月、同年齢の足利義尚陣没直後

【出家後】〇尼崎時代(数年) ◎山崎時代(30歳頃~64歳頃) 山崎で俳諧連歌広める

 ◎讃岐時代(64歳頃~89歳)約25年間晩年を過ごし、終焉「一夜庵」

【一夜庵】臨済宗東福寺派興昌寺(梅谷和尚)境内の草庵

 その名の由来⋯上は立ち中は日ぐらし下は夜まで一夜泊りは下々の下の客

【興昌寺保存遺墨】①紫金仙勧進帳(興昌寺本堂再建寄付集め趣意書)

②徳寿軒宛の書簡(和紙献上の礼状) ③『和漢朗詠集』の書幅

④日本最古の俳句短冊「貸し夜着の袖をや霜に橋姫御 宗鑑」

本歌⋯片敷の袖をや霜にかさぬらむ月に夜がるる宇治の橋姫(新古今集)

〔興昌寺保存遺品〕①雀台瓦硯 ②岩床の花瓶 ③自刻木造半枷像

【作品】『新撰犬筑波集(俳諧連歌)』(付句・発句)編集 

文学史的意義】俳諧連歌の主唱、発句の独立(俳句の嚆矢)、最古の発句

【死没】諸説あって定説はないが、通説は⑤である。

 ①天文3年 ②天文7年81歳 ③天文12年85歳 ④天文21年89歳 

 ●⑤天文22年89歳(俳家奇人談)

【辞世】宗鑑はどちへと人のあらばちと用ありてあの世へと言へ

【年忌】200年忌=安永年(1775年) 400年忌=昭和26年(1951) 

    450年忌=平成16年(2004)11月3日法要・句会

【一夜庵改修記念落成式】令和6年(2024)11月3日 (約20年毎に屋根の葺替)