口癖は直らぬものか

 
 半世紀前のことになるが、国語教育研究法の授業で、野地先生は、「国語の教師として、アーウーという余分な発声はしないよう」言われたことを覚えている。つまらぬことではあるが、半世紀経てもまだ私は国語(文学)の教師を続けていて、このことをずっと守っている。
 まことに聞き苦しい雑音を発する人がある。今日頭に来たのは、15分の話の中で「マ」というよけいな介在語を60回も連発した人があった。かつての上司は20回も朝礼の訓話で「つまり」を連発した。話をまとめようという意識過剰で、決して「つまり」とまとまってはいないのに、「つまり」と連鎖的に使うのである。同僚が「つまりはつまらん」とうまいことを言って皮肉っていた。「どうぞ」を10回もいつの間にか使った管理職もあった。「拝み倒し」の卑屈さを感じたものだった。「アーウー宰相」大平総理は憎めないし許せるが、感覚的に耳ざわりで困る経験をする人はいないのだろうか。誰かに聞いてみたい気がする。
 先日野田総理に聞くNHKアナウンサーがあがってしまって、「やっぱり」を耳に立つほど連発していたが、「やっぱり」を多く使う人は大勢順応派だと「やっぱり」思った次第。
 なくて七癖で、誰にも口癖はあっても仕方がないかもしれないが、気がついたら直してほしいと思うが、つまらぬことか。
 私の文に「が」が多い。曖昧さが好きな言い癖で、よくないと自認はしているが…