俳諧二つ笠序

玉藻よる讃岐国観音寺は、延宝の頃、檀林の種こぼれて其の風徒少なからず、吉備の中山の徐風、元禄の頃其角の門に入りて嵐雪と俳諧黒白の論に和たる。細谷川に祖翁の墳を築きて素隠士の賛辞をかふふり、夫よりここにうつり、百花とあらため、一夜庵を再興し、もつぱら正風の門を開きしが、没して後、風潮損したり。予宝暦の頃しらぬひの帰るさ杖をとどめて元禄の遺風をすすめ、折しも渡海するに、今年蒼々林は筆海をさぐり、山幸舎は早苗塚を造立して、猶諸好士の詠を集め梓にちりばめ、其風思を謝せんと

序辞を与ふ。我何をかいはむ、はた二師を仰がば、昔鑑師は反笠を愛し、蕉翁は檜笠を愛し給ふ。これに便りて俳諧二ッ笠といはむも尤ならずやと。東武散人二六庵竹阿述

 芭蕉と宗鑑、二師を仰ぐならば、昔宗鑑は反笠を愛し、芭翁は樋笠を愛し給ふ。これによりて俳諧二つ笠といはんもむべならずや。 二六庵竹阿述 

 安永四未とし仲夏