寿福新聞草稿


戦争の語り部となる

 

戦後八十年、戦時中の郷土のことを語れる人も

少なくなった。自分は終戦の時昭和二十年八月は

国民学校二年生だったのでよく覚えている。父と

二人の叔父の戦死、戦後の苦労は今更語ってもし

ようがない。平成の今できることは、郷土三豊郡

六五八〇柱の戦没墓碑を訪ね供養すること。誰が

いつどこで死んだか確かめ、記録している。

 若くして逝った非業の死、無念の声なき声に聞

き入っている。軍人墓地ではなく、一般墓地の中

に戦死者の墓碑墓誌を見つけ書き留めるのは容易

ではないが、生き残った者の老後の使命として電

動アシストを走らせている。たとえその前で行き

倒れになっても本望である。

 やがて間違いなく戦争を知らないおじいちゃん

おばあちゃんの世代になる。機会があれば若い子

供たちに「墓碑に何が刻まれているか見て、お花

供えてね」と言っておきたい。戦争を語り伝える

きっかけとなればいい。