小西帯河

①一茶に会って芭蕉の句碑「早苗塚」を建てるように勧められる。

     安永4年(1775)

②宗鑑没後200回忌を営み、一夜庵の傍らに宗鑑法師之塔を建てる。

       同年 安永4年(1775)

③妻道(みち)と京阪に紀行、芭蕉の女弟子智月に会って啓発される。

右面↑小西貞盈五郎京都六條門主より了詠の名を賜る。本家の側小庵を結ぶ。山幸舎・帯河と号す。点茶花風月雪を好む。風流蘊蓄あり。天明二年八月六日没享年五十五歳

左面↓妻道 明和八年七月十九日享年三十一歳