「額田王難読歌雑感」

 古来、難訓歌として『万葉集』巻一・9番  

【莫囂円隣之大相七兄爪謁気】我が背子がい立たせりけむ厳橿が本

例えば、初め五七 【 しづまりしうらなみさわく(静まりし浦浪さわく)】について

 沢瀉久孝『萬葉集注釋』では上掲のように訓んでいるが、定訓なく諸説紛々である。このことに関して深い関心のある友人からこの度、「額田王難読歌雑感」正・続が届いた。明快な論述10枚ほどにまとめられていて、感心させられた。ここではその最初の頁を掲げるにとどめる。

 なお、私の本名は『万葉集古義』の鹿持雅澄から取ったものだと父の遺言があり、私の命名には宿命的なものがある。半世紀を超えてこのことを述べて来たことではある。

参考までに以下、諸説を列記しておく。

①夕月の仰ぎて問ひし(仙覚抄) ②夕月し覆なせそ雲(代匠記) ③三諸の山見つつゆけ(古義) ④紀の国の山越えてゆけ(考) ➄まがりのたぶし見つつゆけ 他30余種の試訓がある。